うさぎじま 松本典子写真集

今日から「うさぎとピクニック展」が始まりました。

スタッフが作ったポップもウサギです。
 
展示は、壁面や棚の上のスペースなどを使って店内にウサギが放牧されている気になります。 

今回の展示されているなかで、写真を撮影された松本典子さんの本を紹介しましょう。早川書房からの「うさぎじま」が人気を呼んでロングセラーになっている松本さんの最初のうさぎをテーマにした写真集です。

第14回写真「ひとつぼ」展グランプリ以来、着実に活動している松本典子さんが、近年とりわけ多くの時間を割いて撮り続けているのがうさぎ。この小さな写真集は、別名「うさぎ島」と呼ばれる瀬戸内海の大久野島で撮影。かつて第二次世界大戦中、国際法上禁止されている毒ガス兵器研究施設が旧日本軍により設置されていたため「地図から消された島」と呼ばれたこの島は、毒ガス検知のために飼われていた多数のウサギたちが、終戦後放棄された施設と共に放置され繁殖し、この島唯一の住民となり「うさぎ島」と呼ばれるようになったと言われている。(追記参照)そんな不思議な島のうさぎたちを、じっくりと見つめる様に写した写真集。これをきっかけに早川書房からの「うさぎじま」が生まれたのです。 (文:悦)

book data:
title: うさぎじま 松本典子写真集
publisher: ナダール書林
author: 松本典子 
price: 630(税込)

追記:3年前に書いたテキストから上記の様に引用したら、うさぎじまの起源についての説があらためられていると言う話を聞きましたので、wikipediaから引用します。

『島外の小学校で飼育されていた8羽のウサギが1971年に島に放されて野生化し、繁殖して現在ではおよそ300羽にまで増えている。このために大久野島は「ウサギ島」とも呼ばれるようになった。その後、国民休暇村大久野島毒ガス資料館等の観光施設ができ、人になれた多数のウサギたちが観光客を出迎えてくれるようになった。
現在は年間約10万人の観光客が訪れる「ウサギの楽園」として知られ、一部のウサギ好きの聖地ともなっている。ウサギの保護のため、大久野島には犬の連れ込みは禁止されている。ただし、大久野島には現在も危険な土壌汚染地域があり、立ち入り禁止になっている場所も存在する。このウサギの起源に関しては、かつてこの島の毒ガス研究施設や工場での実験用や毒ガス検知のために飼われていた多数のウサギたちが、終戦後放棄された施設と共にそのまま放置され、温暖な気候と天敵がいないという好条件によって繁殖したという説がある。
しかし毒ガス工場で働いていた元毒ガス資料館館長、村上初一の証言によれば、毒ガス実験にウサギが使用されていたのは事実だが終戦後にすべて処分されており、現在いるウサギは休暇村建設後に本土から導入されたものとのことである。
また、毒ガス弾・原料・設備の処分が終わり大久野島が日本に返還された当時広島大学が生物調査を行っているが、島全体に厚さ3センチもカルキがまかれ植物は枯れ海岸に貝類も生息していない有様で、到底ウサギが生存できる状況ではなかった。よって大久野島に今いるウサギが、毒ガス実験に使われていたウサギの直接の子孫であるとするのは誤りであるという。』

ということだそうです。 (文:悦)